24人という少人数クラスなので、ほとんどの者が2人分の席に1人で座っていることを差し引いてもバスの中は静かだった。誰も話しかけるどころか、視線すら合わせようとせず、ひどく気まずい雰囲気が流れていた。
政府のプログラム担当官の男は1番前の席に座っている。バス内はとても静かで、エンジン音や周りの車の走行音ぐらいしか聞こえない。バス内で音を立てているとすれば、小畑裕司(男子3番)と大村真(男子2番)ぐらいなものだ。
そして、中ほどの席に座っている「Jack」こと冬月直樹(男子9番)は窓の外の風景を眺めながら、両親の告白を聞いた時のことを思い出していた。
中学校に上がった直後のある休日の夕方ごろ、直樹はリビングでぼんやりとテレビのニュース番組を見ていた。母は買い物にでかけ、父はニュースに耳を傾けつつテーブルの上に広げたノートパソコンのキーを叩いている。
特に会話もなく、アナウンサーの声とパソコンのキーを叩く音だけが響く中、直樹は前から抱えていた疑問を思い出し、唐突に父に対してぶつけてみた。
「父さん、何で俺に色々習い事に行かせたり教えようとするの?中学入ってから正直言って辛いんだけど、どれか止めちゃ駄目かな?」
直樹は幼い頃から空手や水泳をやっていたのだが、中学校に進んでからは陸上部に加え、英会話の教室にも通い出していた。また父からはアングラな部類に入る怪しい知識に加え、まだ当時普及する最中だったパソコンまで教わっていた。
しかし直樹はまだ中学生だ。いくら好奇心旺盛な方で、どれも前向きに取り組んでいっていたとしても、これだけ詰め込まれると時間的にも体力的にも厳しい。
パソコンを弄っていた父は、直樹の問いかけに少し溜息をついた。そして直樹の方を振り向き、じっと息子の眼を見つめると口を開いた。
「……すまん直樹。今まで無理して色々教え込んで悪かったな」
明るく豪快な父から神妙に謝られたことなんて今まで記憶になく、タイミングも唐突すぎて直樹は戸惑った。そんな息子を見て、自嘲気味に笑って父は言った。
「もう中学生だもんな。そろそろ教えてもいいだろう。とはいっても色々説明しなくちゃならないんだが……」
そこで一旦区切ると、続けた。
「実は父さんも母さんも、プログラムの優勝者なんだ」
「え?」
その言葉を聞いた瞬間、直樹は自らの時間が止まったような錯覚を覚えた。14年と数ヶ月という短い人生の中で、間違いなく一番の衝撃だった。父親はかなり大ざっぱな性格だが決して人殺しをするような人間には見えなかったし、ましてや温厚な母が殺人を犯したなんてどうやっても冗談にしか聞こえなかったのだから。
「信じられるか?」
返事ができなかった。
「……でも、何でそれが俺の習い事とかに繋がるの?」
「実は父さん達、反政府組織に入ってるんだ。今勤めてる会社もその組織が運営しているところだ」
これまた根底から直樹の価値観が引っくり返るような事実を告げられ、今度も度肝を抜かれたが、同時にこれまた色々納得するところがあった。たとえばやたらとよく家に来ていた「両親の会社の同僚」達が揃いも揃って妙に陰のある人々だった理由。あるいは本棚にやたら政治に関する本が多かった理由。その他諸々。
そして本題である自分がやたら詰め込み教育のようなことをされた理由にも思い当たった。
「そっか、警察に捕まるかもしれないから……」
「それもある。だが一番の理由はプログラムだ」
「プログラム?」
「優勝者ってこともあって、プログラム関係の調査をやらせてもらったことがあるんだが、あれは直樹も知っているとおり毎年ランダムに50クラスが選ばれるってことになっている。だけどな。数年前に作られて今でも採用されている、プログラムのクラス選考に関する極秘資料を手に入れたんだ。
それを要約すると――
『1.反政府組織に所属している疑いのある者、及びその親族。
2.日常より反政府的な言動をし、それに関係した前科のある者、及びその親族
3.反政府的な言動をしていると疑われる者
4.その他、政府が参加すべきと判断した者
以上の点を考慮し、全国の中学校より50クラスを選出する』
どうだ?これを元に今まで行ったプログラムを追跡調査してみた。結果は……聞くまでもないか。正直言って調べた父さん達もひどく驚いたし、怒り狂ったよ。
でもそのあと、すごく心配になったんだ。直樹はあまりにもこの選考基準に当てはまっているからな。中3になった時に選ばれてしまうかもしれない。それで直樹に小さい頃から空手道場に通わせたり、ジムに通わせたりしたんだ」
中学生が抱えるにはあまりにも酷な答えに直樹は三度沈黙してしまった。
「……プログラムで人殺しをさせたい訳じゃないよね?」
「もちろんだ。父さんも母さんも、もし直樹がプログラムに選ばれたら優勝するんじゃなく、『脱出』してほしいと思ってる」
「脱出……」
あまりにも難しい願いだった。父は真剣な顔で考え込む息子の顔を見つめ、頭を下げた。
「頼む」
直樹は頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。あの逞しさという点では尊敬すらしている父親が自分に対して頭を下げている。
「俺のようにはならないでくれ。……脱出なんて思いつきもせず……クラスメイトを……たくさん殺して優勝してしまった俺みたいにはな」
ずっと息子の視線を受け止めていた父親が、この時ばかりは顔を伏せてしまった。直樹はそんな父親をじっと見つめている。その視線には少しの憎しみも蔑みも含まれていなかった。
ここで応えなければ、自分は両親とまともに向き合って生きていけない。そんな気がして自然と一言呟いた。
「……分かった」
あれから1年と数ヶ月もの間、それまで以上に直樹は様々な技能を覚えることに集中した。プログラムという一つの目標が出来てからは、両親から驚かれるほど習得速度が上がった。自分の命はおろか他人の命もかかっているのだ。いつしか直樹の中でプログラムは「やってくるかもしれないモノ」から「確実にやってくるモノ」へと変わっていった。
しかし、その状況は約1年前の事件によって一変してしまった。世間を騒がせたプログラム脱走事件のせいだ。
その一方で直樹の両親達は万全を期すため、直樹を安全な学校に転校させられないか検討していた。そこで目を付けたのが関西追手陵学園だ。プログラムが始まって以来、未だに一度も対象クラスに選ばれたことがなく、今後も選ばれないというのが世間一般の見方だった。
そんな「聖域」があるのならば是非とも通わせておこうと直樹の両親が思うのも無理はなく、両親の読みは的中して、直樹は見事、編入試験に受かり私立関西追手陵中学校に転校した。難しい試験をくぐり抜けて疲れきっていた直樹だったが、いざ正門の前に立った時には、これでプログラムに参加する可能性はほぼ無くなったなと胸を撫で下ろしたものだ。その翌日にプログラムに巻き込まれることなど知るはずもなく。あまりにも皮肉な話だった。
(結局のところ、俺はプログラムに巻き込まれる運命だったのかもな。あれだけ勉強してやっと入ったってのに、たった一日か……)
あまりの運命に直樹の思考はついつい自虐的な方向へと傾く。が、すぐに我に返る。
(駄目だ駄目だ。こんな弱気じゃ生き残れやしないぞ! ましてや俺がしなくちゃいけないのは「優勝」じゃない。「脱出」じゃなきゃ意味が無いんだ。皆と一緒に脱出しなきゃ、これまでやってきたことなんか全く意味が無い!)
誰も転校生である自分のことを信頼してくれるはずがない。直樹にとってこれは大きすぎる問題だった。
無限とも思える時間が経って、バスは山道を走っていた。先にはコンクリート建築の2階建ての建物がある。軍用車が数台停まっている。
ついに、着いてしまったのだ。プログラム会場に。
「この先が試合会場だ。あそこの見えている建物でルール説明を行う。ついて来い」
連れて来られた大きな建物はかなり綺麗で、まだ造られて数ヶ月も経っていないように見えた。しかし屋上に備え付けられた巨大なアンテナが、この建物こそがプログラム本部だということを示していた。直樹は歩きつつも、奥歯を噛みしめるとじっとアンテナを睨みつけた。