小さな飛行機が青空の下を飛んでいる。その機体にはAVNという3文字が目立つように描かれていた。だが、航空会社を指す物ではないことは、誰でも知っていることである。そして誰もが、AVNを何の略であるか知っている。
地上のほとんどの人間が触れることのできない、魔法使い達の楽園。その姿を見た者に、ファンタジーの世界に入り込んだかと錯覚させるような、浮遊する大陸を治める国。AVN――アーヴァルノーヴ王国は鎖国していた。鎖国とは言っても、完全に交流が断絶しているわけではない。世界の十数箇所に大使館を持っているぐらいだ。そしてその役割は「人ならざる者」、つまり魔法使いを探すこと。もう一つは地上の物資――優れた発明品や文化的な品物等を運ぶこと。その2つだ。
そんなわけで、この小さな飛行機もそんな王国の所有する物だった。気取った言い方をするなら、楽園へ通じる鍵の一つということになるであろう。そして、それに乗ることの出来る地上の人間は全体から見ればわずかな割合にしかすぎない。ほとんどは任期を終えて母国へと帰る大使館の職員だからだ。人数は合わせて数十人といったところ。とは言っても、後ろの貨物室の方が客席より大きくなるように設計されているから、それなりに座席は埋まっていて、ガラガラで寂しいといった印象を受けない。そんな日本・新東京国際空港発、アーヴァルノーヴ王国・ハッペルバル空港行の特別機の光景。
「お嬢ちゃん、あれがアーヴァルノーヴ大陸かね?」
どこにでもいるような老人が、一つ席を空けて窓際席に座っている女の子に話しかけた。ずっと窓の外に浮かぶ大陸を見ていた彼女は振り向く。黒色に金の刺繍が施されたリボンが輝く太陽の光に煌いた。全体的な様子から察するに中学生のようだった。
「ええ」
微笑しつつ答えた彼女の物腰からは、育ちの良さが伺える。だが中学生らしい年齢特有の幼さも入り混じった彼女に、彼は孫に対する親しみの似たような物を感じた。彼にも彼女のような年頃の孫がいた。もう生きてるうちに会うことはできないだろうが。彼もまた魔法使いの成り立てであった。こんな年老いてから開花するのは稀であるが、無いわけでもない。
「子供の頃、母からあそこの話を聞かされていた時は、とても行きたくなったものだが、こんな歳になってようやく行けるとはね」
老人は皮肉気に笑った。
魔法使いになった人間はその意思を問わず浮遊大陸へと渡らなければならない。たとえ、家族や恋人がいたとしても、離れ離れになるのだ。だが地上の人間にはそれを止める力も、意思すらも無かった。結果、ごくわずかな、無視できるぐらいの少数の、魔法使いとなった人間とその家族だけが、悲しい思いで一生の別離を余儀なくされる。
「……あ、いや、すまんね。むしろこんな老いぼれよりも君達の方が辛いだろうに」
老人はふっと彼女のような子供の方が親や友人達と離れ離れになる分、辛いことに気づいて、目の前の少女に謝った。対する彼女はちょっと困ったような顔をして答える。
「私なんか全然辛くないですよ。……もっと辛い子がいますから」
視線を前方にやった彼女につられて、彼も前方にやった。ゆったりと取られたシート、しかも倒している人が多いおかげで視界は悪くない。そしてその先にはまだ小学校に上がるか上がらないかと思しき少年がいた。持ち込んだ鞄に入れておいたのか、おもちゃの小型ロボットを指先で弄くっている。周りは大人達ばかりで、同世代は見当たらず、その光景は浮いていた。一人ぼっちで、どことなく寂しそうな横顔だった。
「大人になった時、親の顔も覚えてないかもしれんね」
溜息をついて老人は体の力を抜いた。双方に分かれて住むことが普通の人間達にとって最良の選択で、普通の人間が突然に魔法使いになりうるならば、この問題に大団円な解決などあり得ないのだろう。全く……辛い話だ。
スピーカーに電源が入る音がして、機内にアナウンスが入る。事前に知らされていたこの移住のスケジュール表によれば、いよいよ、魔法使いの楽園へ着くはずだ。
窓から外を見ると、大陸を囲むように位置する蒼い山脈が遠ざかっていき、一面草原の大地が眼下に広がっていた。
彼女の瞳からはこらえ切れずに涙が零れ落ちた。そして再び思う。「私は帰ってきた」と。